1959年、奈良県立医科大学卒業。顕微鏡下微小血管や神経の縫合を行う技術の開発にわが国で初めて着手し、その技術を用いて、1965年に世界で初めて切断母指再接着に成功。さらに犬における遊離筋肉移植術の開発、完全切断陰茎再接着などが評価され、2010年6月に国際外科学会日本部会において「Hall of Fame」を受賞。第12回世界マクロサージャリー学会にて会長兼理事長を務める。その他、整形外科分野のマイクロサージャリーのパイオニアとして数々の業績を挙げている。2017年から田北病院内の「奈良手の外科研究所」所長に就任。日頃のモットーは「心身ともに健康、患者さんには恕(じょ)の心を持って診療に当たること」。
CHAPTER01
私の家系は350年以上前から代々医業に従事し、私で21代目となります。奈良医大を卒業後、その当時では新進気鋭の整形外科教授であると同時に、わが国で1,2を争う麻酔学の大家でもあった 恩地裕教授に憧れて1960年4月に整形外科に入局。その年に開設された大学院の一回生として入学しました。その2年前と1年前に大腿部を不全切断された患者さんが来院され手術を手伝わせていただく機会があり、うまく再接合に至った事例と挫滅がひどく失敗に終わった事例の両方を経験しました。
これらの経験から研究のテーマとして私に与えられたのは「切断肢再接着に関する実験外科的研究」という非常に難しいものでした。1960年の春から犬の大腿部の切断再接着実験を開始しましたが、その頃の整形外科医は骨や筋肉はほぼ元通りに繋げても、血管を吻合して血流を再開する技術は持ち合わせておらず、何度も試行錯誤を重ねました。結局、最初の一年間は血管吻合の失敗が原因で一例も成功しませんでした。翌年の1月2日、恩地教授に実験を手伝っていただいて、初めて再接着を成功させることができました。その後も実験を重ねて、「完全に切断された四肢であっても、創の十分な洗浄とデブリドマン(外科的清浄)を行った後、血管吻合により可及的速やかに血流を再開すれば、再接着が可能である」ということを証明するまでに、3年の年月がかかりました。
動物実験の傍ら、臨床例で7-0の絹糸を用いて、手の外傷により血管が切れてしまった症例で血管吻合の技術を磨いておりました。
medical univ. of south carolina 小児外科に留学中(1967)
CHAPTER02
Dr.cobbet(写真左) 、Dr.Buncke Dr.Buncke(写真右)
の研究室にて(1955)
本格的にマイクロサージャリーの技術修得に入ったのは、1964年の春頃です。1960年に米国のProf.Julius Jacobsonが発表した微小血管吻合術(Microvascular Anastomosis)の技術を導入したのですが、当時はまだ手術用顕微鏡が日本に輸入されておらず、顕微鏡下手術に適した針付き縫合糸も入手できませんでした。1964年の春にCarl-Zeiss社製のDiploscopeを購入し、そこからマイクロサージャリーの技術修得を開始。その当時、日本人で私たち以外にはまだ誰もマイクロサージャリーはやっていなかったと思います。
1965年7月末、28歳の男性が左手親指付け根の関節部分をスチールカッターで完全に切断し、奈良医大病院整形外科に運ばれてきました。この手術が世界で初めてとなる母指再接着術になりました。恩地教授の陣頭指揮のもとで、血管吻合練習を一緒に行ってきた一年先輩の小松重雄先生と私が手術を担当しました。骨は関節部で切れていたので関節固定術を行い、伸筋腱を縫合、次いで、術野を手術用顕微鏡下において倍率を16〜20倍にセットして掌側指動脈2本を吻合、指の背側で2本の皮下静脈を吻合して血流を再開しました。
縫合した動脈を傷つけないように神経は縫合せず両断端を近接させておき、皮膚縫合を行って再接着術を終了。手術時間は3時間30分でした。現在の切断母指再接着術では、血管や神経の縫合に10-0の糸を用いるのが普通ですが、この当時はアメリカのProf.Jacobsonからいただいた、その頃では世界で最小の8-0のナイロン糸を動脈に、7-0の絹糸を静脈に使用して手術を行いました。
手術自体に特別な苦労はなかったのですが、「世界初の完全切断指の再接着術」と宣伝された結果、マスコミの対応に追われたのが大変でした。様々なメディアで大きく報じられ、奈良医大も一躍有名になりました。全国各地から四肢切断外傷患者についての問い合わせが殺到し、毎日のように再接着術に追われる日々で、何日も自宅に帰れない状況が続いたのも若き日の苦しかった想い出です。
そのような慌ただしい日々の中で、奈良医大整形外科教室の初代教授の恩地裕先生からは「research mind」を、第二代教授の増原健二先生からは「医の心」「管理・運営学」を学ぶことができました。1989年1月に第三代目教授に就任し、2000年3月定年退官するまでの40年間に世界に誇れる業績を残すことができました。
CHAPTER03
河野製作所とのお付き合いは1966年頃からになると思いますが、「8-0、9-0針付きモノフィラメントナイロン糸の作製」を依頼したのがきっかけだったと思います。工場を訪問させていただいたときに、社員の方が肉眼で細い針の根本に割れ目をつくり、そこに糸を挟んでかしめる仕事をやっておられたのを覚えています。作っていただいたものも気に入って使っていましたし、気になることがあればその都度ご連絡して改良に努めていただいた記憶があります。
また、「金属製のマイクロダブルクリップの作製」もお願いしました。世界初の完全切断母指再接着術を行ったときは、当時一番小さいと思われる脳外科用クリップの隙間に23ゲージの注射針を挿入してダブルクリップとして用いました。Jacobsonのclip&viseは外径0.8〜1.0mmの親指の血管吻合にはあまりにも巨大で重いものだったので、使用できませんでした。この時の経験から、私たちは外径0.2〜3.0mmの血管の吻合に適したダブルクリップを作らねば微小血管吻合術の発展は望めないと考え、河野製作所に金属製のマイクロダブルクリップの作成をお願いしたのです。吻合の対象が0.2〜3.0mmなので、それに見合った大きさであること。クリッピングの力は強すぎず弱すぎず、絶対に血管壁を挫滅しない程度にして、さらに把持した血管がスリップしないようにクリップの内面に滑り止めをつけてもらうよう依頼し、挟んだ血管の大きさが簡単に分かるようにクリップ表面に1mm刻みのメジャーをつけてもらいました。
最終的に完成したクリップは大・中・小の3種類で、それぞれにシングルとダブルクリップがあり、非常に使いやすく、世界的に愛用者が増えました。
会社設立前から、微細な製品の研究・開発・製造でマイクロサージャリーを支えていただいた河野製作所には、引き続き医療に貢献していただき、マイクロ用針付き縫合糸に関して「世界一」を目指していただきたいと思います。
開発中のダブルクリップ
国際外科学会日本部会において
「Hall of Fame」を受賞外科殿堂入りを果たす(2020)